はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

一茎百華 山崎先生はモテなかったのか


刀利の生き神様と言われた
山崎兵蔵先生をえがいた本は
初版は昭和28年に
田豊二という氷見高等学校の校長先生が
書かれた本だ。

 山崎先生は名もいらぬ、財もいらぬ、酒もいらぬ、家もいらぬ、妻子もいらぬ人であるといえば変人と人はいうであろう。先生が変人でないことは遭えばわかる。変人でなければ超人か、否、山崎先生は決して人間味の消失した山の仙人ではない、然らば山崎先生にあるものは何か、それは寧(むし)ろ温かい人間存在の根源的な真実心なのだ。それこそペスタロッチーの所謂(いわゆる)神の父心母心が人間山崎を通じて発顕したものに外ならない。山崎先生は15歳の少年から身を教育に託して半世紀、全くその心に生き抜いた。こどものために、村のために、刀利のために、教育のために、すべて他のためにして己のためにしなかった。その間に育まれた村人の子心と先生の親心と相呼び相応じて打ち樹てられた
教育こそは、まことに純粋なる真実一如の教育であった。そこには清浄無垢なる教育精神が山の泉の如く湧き出ている。
「一茎百華」

と山崎先生にほれ込み
どうしても書き残したいという
村田先生の強い意志が感じられる一冊です。

序文は
時の文部大臣 天野貞祐
と 松村謙三

という豪華さです。

ということで
生涯独身だった山崎先生は
モテたのかモテなかったのか
読む前に興味があって
どうだったのかというと
それを書く時間が今日はなくなったので
明日書きますね。
ごめんなさい。