はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

心配

きのうから娘が

岐阜県可児市へ出かけていて

桜ヶ池の駐車場で待ち合わせたので

帰りにうちに寄って夕飯を食べて帰ることになっていた。

 

夜の7時を過ぎても連絡がない。

携帯に電話してもつながらない。

何かあったのかと心配で

ご飯をわさわさ食べる気になれず

少しずつ食べる。

 

7時40分に電話があってホッとした。

「生きていてくれる。うれしい!」という気持ち。

 

韓国の梨泰院では多くの若者が犠牲になった。

家族のみなさんは何度も電話して娘や息子、兄弟姉妹の安否を

確認されたことだろう。

胸が痛い。

 

はす向かいの家のお父さんが亡くなった。

85歳なので男性にしては長生きだと思う。

そして前日まで元気で外を歩いておられた。

それが突然次の朝布団の中で亡くなっていたという。

 

話を聞いたのはその日の昼過ぎ。

夫が聞いてきてその話を聞いた母は開口一番

「きなるい」

と言った。

亡くなり方がピンピンコロリなの。

私もうらやましい。

そんな風に死にたい。

 

でも人は死に方を選べない。

与えられた死に方しかできない。

 

でも生き方は選べる。

どんな状況にあろうとも

前向きに受け入れて生きていくということ。

 

母の実家の私の曾祖母は

晩年目が見えなくなり

ずっと茶の間と隣の部屋の布団の中で過ごした。

それは20年ぐらい続いたのではないかと思う。

でもその曾祖母の不満めいた言葉は一度も聞いたことがない。

いつも感謝の言葉で私のこともかわいがってくれ

美しい言葉しか聞いたことがない。

今思うと

私が会った中でいちばんすごい人のように思う。

 

生きること 死ぬことについて

つらつらと書いた。