はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

不運と思うな

今日の大竹まことのゴールデンラジオは

先日亡くなった作家の伊集院静のことが語られていた。

 

伊集院静の本の一文が紹介されていた。

 

伊集院静は17歳の弟を亡くし

27歳の妻を亡くしている。

 

17歳の弟を亡くした時の高校の先生に言われた言葉が語られている。

 

きみと同じ立場の人間が世の中には何人もいてその悲しみを

乗り越えて生きていることを忘れないでほしいんだ。

途方にくれたり、悲しみに甘えてはいけない。憤ってはいけない。

まさき君(伊集院静の弟)が不運だと思ってはいけない。

不運な人生などどこにもないんだ。

17年間彼はりっぱに生きたんだ。夢も希望もあっただろう。

きみだけがそれを知っているのだから、君がそれを忘れず引き継いで行けるんだ。

今のつらさから逃げることなくきちんと今日からやってください。

その時はそのことが本当にあるのかと思った。

つらい、悔しい、みじめだ、そんなことばかりじゃないか。

それでも私はこの先生の言葉をどこかで信じていた。

 

東日本大震災

2月の下旬に被災地を家族と見て回った。それが必要だと思ったからだ。

南三陸町では鉄の骨組みだけが残る防災センターを見た。

最後まで避難放送を続け若い命を落とした女性のことを思い

小さな祭壇に手を合わせた。

碑に刻まれた犠牲者の数の多さと祖父母良心子ども孫の名前と没年齢に言葉がない。

(中略)

弟の時も、前妻の時も私は星空を何度も見上げた。

生還させてほしいと祈った。今は「安らかか」と尋ねる。

死の数年は、弟、妻を不運と思っていた。今は違う。

天命と容易くは言わぬが、短い一生にも四季はあったと信じている。

笑ったり、喜んでいた表情だけを思い出す。敢えてそうしてきた。

それが2人への生への尊敬だと思うからだ。

彼らもそして私も不運とは思わなくなった。

不運ではなくそういう「生」だったのだ。不運と思っては悲しすぎるのではないか。

不運と思うな。と自分に言い聞かせて今日まで来ている。

 

ときに

自分だけが不幸の底にいるような気持になりますが

とにかく自分だけではないということ。

慰めになるような、ならないような。