はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

ちょっと心配

今年で

城端麦屋祭りの「じゃんとこいむぎや」が終わる。

20年続いた。

 

20年前

どうして「じゃんとこいむぎや」が生まれたかというと

麦屋祭りへの客がだんだん減ってきて

そのときによさこいソーランを立ち上げた

北海道の長谷川岳氏の講演があったりして

つながりを持った城端女性部商工会のメンバーが

すごい熱心に動いて立ち上がったのだった。

 

それまで

若柳流の師範として

麦屋祭りの踊りを指導してこられた

松島佳子先生が

中心になって動かれたのだった。

 

先生は昨年亡くなった。

 

地元のチーム「城華」は10年間

出場したが11年目に解散した。

チームを維持するのってホント大変なのよ。

限界でした。

 

私は久しぶりにじゃんとこいむぎやを見たのだが

レベルが高くなっていてびっくりした。

踊りも曲も衣装も

進化し続けている。

 

麦屋踊りの正調はそれはそれでいいのだが

じゃんとこいむぎやに出場するチームは

踊りの練習量、注ぎ込むパワーが

すごくて

見ている人に何かを残す。

 

そして踊るために

富山県内からたくさんの人が城端を訪れてくれた。

 

なくなったけど

ほんとになくしてよかったのか。

 

町の古老の方々は

もともとじゃんとこいむぎやはうるさくて

正調の邪魔になり

本来の祭りに戻すだけのことだと

言われる。

客が来ても店が儲かるわけでないから

自分たちで楽しめばいいと言われる。

 

予算を削られるからしかたのないこと。

私だって今回見る必要があったから見たので

そうでないと見なかったかも。

 

でもじゃんとこいむぎやがなくなった麦屋って

どうなるんだろう。

あの若い人たちが祭りからいなくなる。

 

どんなふうになるのか