はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

残るのは情熱

今日の夕方
松島先生の訃報が入ってきた。

松島先生を知ったのは
2000年の国民文化祭の辺りだったろうか。

松島先生は
日舞若柳流の師範で
むぎや祭りの踊りの指導も熱心になさっていた。

麦屋踊り推進グループ「花筏」や
よさこい的演武集団「城華」の立ち上げにも
精力的にかかわられ

麦屋踊りを精力的に引っ張っていらっしゃった。

私自身も少し日舞を教えていただいたし
娘もお世話になった。

私が城端に帰ってきて
ああこんなすごい人がいるんだなと思った
模範としている女性の先輩が
4人いて

その中の1人が
松島先生だった。

知り合って最初の頃
金太郎温泉に踊りに行くことになって
バスで行ったのだが
先生の横に座ることになり
とてもドキドキしたのを思い出す。

先生は小さい頃から日舞を習っていらっしゃった
ということからもわかるように
「ウイング山田」の娘さんで
「ほそかわ」と並ぶ
洋服のお店で
つまり、お嬢様だったのだ。

知り合った初めのころは
蓑谷という田舎に住んでいる自分がなんとなく恥ずかしい

という意識があって
それもあってとても緊張していたのだった。

そのうちに色々なお付き合いがあり
遠慮なく何でも言えるようになっていったのだが。

いつかの年賀状で
先生が
「はれあたまさんのようにユーモアがある所を見習いたい」

と書いてくださったことがあって
私のような年下の者にも
そのような言葉をかけてくださる謙虚さに
頭が下がる思いだった。

私の中に残るのは
先生の「情熱」です。

踊りへの「情熱」です。

ありがとうございました。