菅首相が
長崎平和祈念式典に1分遅刻したと
話題になっている。
広島では
作文が読めなかったので
それよりはましな感じがするが
今日あるYOUTUBEを聞いていて
気がついたのは
長崎の平和記念式典は
菅首相が着席する前に始まってしまったということだ。
たとえば
卒業式で
一番の来賓は南砺市長あるいはその代理だが
その来賓がいなくて式を始めるだろうか。
普通は来るまで待っているのではないか。
まして
1分遅れなら
どっかそこまで来てますよ情報ぐらいは入っていただろうに
首相がいないのに
じゃあ始めますと
式が始まってしまったというのは
「菅総理、あなたいてもいなくてもいいですよ」
感に満ち溢れている。
こんな屈辱があっても
遅刻は官邸側の事務方のせいだと
またもや人のせいにして乗り切れると思っているようだ。
だいたい
読み仮名もみんな振ってもらい
それでも読めないなど
普通は恥ずかしくてあんなポストにいられるものではない。
G7なども
ほとんどわけがわからず過ごさねばならない屈辱に
普通は辞めるものだが
安倍以来
「恥」がなくなった。日本のトップに。
以下同文の我が国。
普通に文章が読める人が首相であってほしい
ということさえかなわない今の私たちの国。