はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

山田太一の言葉

日本農業新聞のトップページに
「戦争を知る世代から」
というミニ連載が始まりました。

「不揃いの林檎たち」などを書いた脚本家の山田太一さんの
メッセージがあったので。

未来をあえて考えぬ人々
     当時と同じ空気がある

 戦争について今の日本の選択がこの先、引くに引けないようになることを恐れている。戦争を知る人間として、戦争はどんな策を弄しても避けなければいけないものだと思う。
 同盟を結ぶ大国が戦争を始めてしまえば、「戦争反対」と言っているだけで済まされない多くの問題が出てくるだろう。それでも戦争はしない。「弱腰だ」「情けない」なんて散々文句を言われたとしても、日本は、戦争に巻き込まれてはいけない。
            †   †   †
 戦争は、信じられない犠牲を国民に強制する。第2次世界大戦がはじまる時、国民全体が「日本は強い」という非現実の宣伝にものすごく興奮した。その盛り上がりは一瞬で、すぐに日本の実力がむき出しになった。
 わが家も長男を徴兵され、父は経営していた食堂の跡継ぎを失った。空襲の避難場所にするために、私たち一家は住んでいた浅草から、「反対」などはとても言えずに追い出された。
 疎開した神奈川県の湯河原ではバケツリレーの練習を老若男女で行ったことが印象に残っている。空からの爆撃でそこら中が火だるまになっている時に、バケツの水で火が消せるわけがない。今考えると、なぜ誰かが「バケツリレーの練習なんて無意味だよ」と言わないのかと思う。けれど、それが言えないのが戦争なんだ。
 疎開先で母が死に、兄も亡くなった。配給が少なくわずかなコメとサツマイモしか食べられない。栄養失調で異様に腹が膨れる。でも、僕は当時、不幸だとか悲惨だとかいう感覚はなかった。戦争に勝つためには我慢しなければならないと思っていた。変な後遺症だけど、今でも食べ物を残せない。飢餓を経験したせいで、自分の分として出された食事を残すことができない。
            †   †   †
 今、私を含めて多くの日本人は戦争を「他所事(よそごと)」に思っているだろう。でも、いつ起きても不思議ではないと一方で僕は思う。多くの戦争は想定外に起きている。
 戦後71年経った今、信じられないことが許されている。例えばゲーム「ポケモンGO」。「歩きながらの携帯は危ないよ」なんて教えておきながら、それを助長するゲームを作り、人々が熱中している。原発事故を起こした日本が、原子力発電を海外に輸出し金もうけしている。「日本は素晴らしい」と日本をやたら鼓舞する番組がたくさん作られている。米国の大統領選では、メキシコとの国境に壁を作ろうとするトランプ氏がヒーロー扱いされている。
 人々は、感情むき出しの強い言葉に酔い、自分の都合に没頭している。世の中がこの先どうなっているのか、あえて想像しないような流れができている。戦時中と、どこか同じ空気がある。この一方通行の流れが怖い。他人の現実なんて知るもんかという空気が怖い。