はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

妻吉自叙伝堀江物語

冒頭の文章です。

 私は今、私の物語を書くために筆を執りました。けれども、筆を執るというのは、世の物書く人たちの常の言葉です。私は、物書くにもその筆を執ることのできない身です。私は筆を執るのではなくて、咥えて物を書くように運命づけられた浅ましい果敢ない身です。私はこの筆を咥えて、白い紙の上に顔を伏せるのでした。私はその筆を紙の上に運んでいくに連れて、こぼれ落ちる鬢の毛は、微かな音を立てて、紙の上を摺ってゆきます。

 実際にあった「堀江六人斬り事件」と、その犯人の娘である舞妓・妻吉が書いた『妻吉自叙伝堀江物語』 をもとにした悲劇。

と紹介にありますが

17歳の時に
義父に両腕を切り落とされながらも
自分の運命を受け入れて生きた
大石米子の自伝です。

13歳の時に舞妓となる時の披露目の衣装について
書かれているところが
きらびやかでうっとりしたので
書いてみます。

実の父親が芸子となった妻吉の衣装について
語っているところです。

 この衣物(きもの)は、私が好んで絵の先生に頼んで下絵を書いてもろうて、高島屋で染めさしたのだっせ。模様は四季の花だす。褄を取ると、上着と下着四つ出逢って、ちょうど四季の花がぴったりと合うの出すがな。それから帯は西陣へ私がいって、わざわざ織らした別織りのだっせ。見とくれやす、この通り織り出しにこの娘の紋が出てまっしゃろ。襦袢を見とくなはれ、襟は縫いつぶしだっせ。それに裾を見とくなはれ、平金に縫わしてありまっしゃろがな。きょう日ではな、この平金を縫うええ縫師が、どだいいまへんぜ。それを探し求めてこの仕事をやらしましたんや。これはな、徳川の末頃には流行ったもんで、色気があってそれで高尚でな、とてもないええもんだす。なんせ御殿女中などは、江戸淡紅の下へ着ていたもんだすよってな、私はこの娘を御殿風に仕立てて見たのだす。店出しも、こんな店出しはめったにあらしませんぜ。私は実際、これは自慢してるのだす

美しい衣装が
後の人生がわかるほどに
きらびやかに
思われるのです。

最近本が読めてません。

ユーチューブばっかり見てて。

そういう時期。

そういう時期ね。