きのうの棟方志功展の
木村宣彰先生という南砺市出身の
偉い先生のお話を
最後まで聞くことができなかったが
プリントをいただいて
その中の棟方志功についての言葉
また棟方に影響を与えた人たちの言葉が
うまくピックアップされて書かれています。
もう少し素養があれば
もっと読み取れるのにと
残念ですが
その中に司馬遼太郎の言葉として
棟方の有名な言葉が載っています。
棟方志功は「私が彫るのではなく、仏様に彫らされている」と話しています。
この精神を、まさに真宗の心が息づいているように思えます。親鸞の精神を見事に受け継いだのは、そういう教団以外の人だったのではないでしょうか。
(司馬遼太郎「真宗の風景」)
「生かされている」
道を歩む果てに
自分の意志を通り越した何かに
たどりついた境地
今
- 作者: 長尾三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1993/05
- メディア: 単行本
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をお借りして読んでおりますが
酒井大阿闍梨が
「堂行三昧」という
90日間坐臥することも許されず
1M四方のところで1日2時間の仮眠が許されるだけで
あとは一日中念仏を唱えながら
阿弥陀如来の周りを回るという行があって
余りの厳しさに死んだ僧もあるそうですが
明治以来ずっと途絶えていた行を
酒井行者が挑戦されたときの話が書いてあります。
ずっとまわっていると感覚が無くなり
睡魔との闘いから幻覚症状が出てくるそうです。
詳しい症状については省きますが
行が終わりに近づいたころ
「普賢菩薩」を感得されたと言います。
無我夢中で仏さんと一体になれば、念仏が自然に出てくるんだ。自分の頭の中でもって、念仏を唱えなきゃというんじゃなくて、ふっと湧き出てくるんや。で、その「南無」というときは、もう左の足がかってに動き出す。それを身につけると、時間の感覚がなくなって、苦しくもない。ぐるぐる、ぐるぐる回るけど、桃源郷に入ったような感じでね、楽しささえ味わっていたんだね。
「生涯修行 娑婆に還った生き仏」長尾三郎 講談社
憧れてやまない
フローの世界。