はれあたまダイアリー

とにかく続けるよ

山崎先生はモテなかったのか

肝心のところを書かぬまま
きのうは終わってしまいましたが

「一茎百華」によりますと

 二十四、五歳頃の先生は明朗な美青年で、年頃の娘さん達の憧憬(あこがれ)の的だった。村の有志の中には持参金付きで娘を持ってきた人もある。又或る教員は燃える思いを文に託したこともあった。
というわけで
明朗な山崎美青年はモテモテだったことがわかりました。

 又先生を婿養子にとお百度を踏んだのも十氏に余るほどだった。その中に或る町から太美山の有志二、三を介して頼み込んだ人があった。誰から見ても此の上ない良縁で、先生の親達も大いに乗り気であった。仲へ入った有志達も、之には本人も異存あるまいと無断で結納をすまし婿入りの段取り迄(まで)定めてしまった。さて日取りも間近になって有志の代表が先生に打ち明けると、図らずもその返事は否であった。慌てたのは仲人である。早速数人連れで先生へ懇願に及んだ。「先生、人の羨む縁談です。ぜひ承知してください。然し先生は頑として応じなかった。

山崎先生の教員生活五十周年を祝う折の
先生の写真が載っていますが
すらっと背が高く
ハンサムで
昔はずいぶん多くの人が憧れたのだろうというのも
頷けますね。


刀利ダムは
水が排出されていて
昔の建物跡がみえることが
今日わかりました。

数日中に行ってこようと思います。